TDS測定を使いこなす:理想のコーヒー風味プロファイルを数値化する技術
はじめに:なぜTDS測定が重要なのか
サードウェーブコーヒーの世界では、単にコーヒーを淹れるという行為を超え、豆の持つポテンシャルを最大限に引き出し、一杯の完成度を追求する探求が日々行われています。この探求において、感覚だけでなく科学的なアプローチを取り入れることは非常に有効です。その中でも特に注目されているのが、「TDS測定」です。
TDS(Total Dissolved Solids、総溶解固形分)とは、水またはコーヒー中に溶け込んでいる固形分の総量を示す指標です。コーヒー抽出においては、抽出されたコーヒー液中にどのくらいのコーヒー成分が溶け込んでいるかを数値化することで、抽出効率や濃度を客観的に把握することができます。
この記事では、TDS測定の基礎から、抽出レシピの開発や再現性の向上にどのように活用できるのか、具体的な方法や注意点までを詳しく解説します。TDS測定を理解し使いこなすことは、あなたのコーヒー抽出技術を次のレベルへと引き上げる強力なツールとなるでしょう。
TDSとは何か?コーヒー抽出におけるその意義
TDSは、液体中に溶け込んでいるミネラル、塩類、金属、有機物などの総量をppm(parts per million)またはmg/Lで表したものです。コーヒー抽出液の場合、この「溶け込んでいる固形分」の大部分は、コーヒー豆由来の風味成分やその他の可溶性物質です。
TDSを測定することで、抽出されたコーヒー液の「濃度」を数値化できます。一般的に、ドリップコーヒーのTDS値は1.1%〜1.5%程度が適正とされていますが、これはあくまで目安であり、豆の種類や抽出方法、個人の好みによって理想的な値は異なります。
TDS測定の最大の意義は、抽出プロセスを数値化し、客観的に評価できる点にあります。これにより、以下のようなことが可能になります。
- 抽出効率の把握: TDS値と抽出に使用した水の量、抽出されたコーヒー液の量から「抽出収率(Extraction Yield)」を計算できます。抽出収率は、使用したコーヒー豆の量に対して、どれだけのコーヒー成分が抽出されたかを示す指標で、一般的に18%〜22%が理想的な範囲とされています。
- レシピの再現性向上: 同じ豆、同じ器具、同じレシピで淹れても、抽出条件のわずかな違い(湯温、注湯速度、グラインドサイズなど)によって抽出結果は変動します。TDS測定により、抽出液の濃度を毎回チェックすることで、レシピが意図した通りに再現できているかを確認できます。
- レシピ開発の効率化: 様々な抽出条件を試す際に、感覚だけでなくTDS値を参考にすることで、狙った濃度や抽出収率に近づけるためのパラメータ調整を論理的に行うことができます。
- 器具や豆の比較: 異なるグラインダーやドリッパー、あるいは異なる焙煎度の豆などが、抽出にどのような影響を与えるかを、TDS値を用いて比較分析することができます。
TDS測定の実際:必要な器具と測定方法
TDSを測定するためには、専用の機器が必要です。「デジタルTDSメーター」や「コーヒー用屈折計(Refractometer)」が主に使われます。
- デジタルTDSメーター: 水質検査などに広く用いられる安価なTDSメーターは、コーヒー抽出液の測定には適さない場合が多いです。コーヒー液には様々な有機物が含まれており、専用設計されていないメーターでは正確な値が得られません。コーヒー抽出液の測定には、コーヒー専用の屈折計を用いるのが一般的です。
- コーヒー用屈折計: 光の屈折率を利用して液体の濃度を測定する機器です。コーヒー抽出液の測定に特化して設計されており、比較的正確なTDS値をパーセント(%)で表示してくれます。高価なものが多いですが、精度の高い測定を求めるなら必須と言えます。
測定方法(コーヒー用屈折計の場合):
- 準備: 抽出したてのコーヒー液を清潔な容器に注ぎます。すぐに測定せず、少し冷ましてから(推奨温度は機器によりますが、室温近くが望ましいことが多いです)測定します。熱すぎる液体は測定値に影響を与える可能性があります。
- サンプリング: ピペットなどを使用して、コーヒー液のサンプルを少量取ります。コーヒーの微粉が含まれていると正確な測定ができないため、フィルターなどで濾過するか、微粉が沈殿するのを待って上澄みを取るのが望ましいです。
- 測定: 屈折計のサンプル台にコーヒー液を数滴垂らします。気泡が入らないように注意し、蓋を閉じます。
- 読み取り: 機器の指示に従って測定ボタンを押し、表示されるTDS値を読み取ります。
正確な測定のためには、機器の校正(キャリブレーション)を定期的に行うことが重要です。通常、蒸留水などを用いて行います。
TDS値と抽出収率の関係性:Extraction Chartの活用
TDS値から、抽出収率(Extraction Yield, EY)を計算することができます。抽出収率は以下の式で求められます。
EY (%) = [コーヒー液の質量 (g) × TDS (%)] / [使用したコーヒー豆の質量 (g)] × 100
例: * 使用した豆の量:20g * 抽出されたコーヒー液の量:300g * 測定されたTDS値:1.35%
EY (%) = [300g × 1.35] / [20g] × 100 = 405 / 20 = 20.25%
この抽出収率とTDS値、そして抽出されたコーヒー液の質量(または使用した水の量に対する比率)の関係を示したのが、Extraction Chart(抽出チャート)です。このチャートは、抽出されたコーヒーが「理想的」「過抽出」「未抽出」「薄すぎる」「濃すぎる」といった領域のどこに位置するかを視覚的に示してくれます。
多くの場合、SCA (Specialty Coffee Association) などが提唱する「Brewing Control Chart」が参照されます。このチャートでは、TDSが1.15%〜1.45%、抽出収率が18%〜22%の範囲が「理想的な抽出(Ideal)」とされています。しかし、これはあくまで一つの基準であり、浅煎りのフルーティな豆では抽出収率がやや高めでも美味しく感じられたり、深煎りの豆では低めの収率でバランスが取れたりすることもあります。
重要なのは、Extraction Chartを絶対的な正解とするのではなく、自身の味覚と照らし合わせながら、理想とする風味プロファイルがチャート上のどの位置に対応するのかを探求することです。
TDS測定の実践的な活用法
TDS測定は、単に数値を測るだけでなく、様々な場面で抽出の質を高めるために活用できます。
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レシピ開発と最適化:
- 新しい豆で抽出する際、いくつかの異なる条件(湯温、挽き目、注湯速度など)で抽出し、それぞれのTDS値と抽出収率、そして味覚評価を行います。
- 狙った風味(例:明るい酸味、しっかりとしたボディ)が Extraction Chart上のどの位置に対応するかを記録します。
- 例えば、酸味が強すぎる(未抽出の可能性)場合は、挽き目を細かくする、湯温を上げる、抽出時間を長くするなどして抽出収率を高め、TDS値の変化を確認します。苦味が強い(過抽出の可能性)場合は、挽き目を粗くする、湯温を下げる、抽出時間を短くするなどして調整します。
- 感覚的な調整に加えてTDS値を参照することで、効率的に理想のレシピに近づけることができます。
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レシピの再現性向上:
- お気に入りのレシピで抽出する際に、抽出後のTDS値を毎回測定します。
- 過去の成功した抽出のTDS値と比較し、大きく乖離している場合は、抽出プロセスに何か違いがあったことを示唆します。
- 例えば、TDS値が低い場合は、挽き目が粗すぎた、湯温が低かった、注湯が早すぎたなどが考えられます。原因を特定し、修正することで、同じレシピで安定した品質のコーヒーを抽出できるようになります。
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器具や変数の比較分析:
- 異なるグラインダーで同じ豆を挽いた場合の粒度分布の違いが、抽出効率にどう影響するかをTDS値で比較できます。
- 異なる種類の水(硬度やミネラル成分が異なる水)を使用した際の抽出効率の違いを、TDS値を通じて客観的に評価できます。
- 同じレシピでも、ドリッパーの形状やフィルターの種類を変えた場合の抽出結果の違いを、TDS値と味覚の両面から分析できます。
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味覚と数値の照合:
- 様々なTDS値・抽出収率のコーヒーをテイスティングし、それぞれの数値がどのような風味特性と結びついているかを記録します。
- 例えば、「この豆はTDS 1.30%、抽出収率 19.5%の時に最もバランスが良い」「別の豆はTDS 1.45%、抽出収率 21%でフルーティさが際立つ」といった知見を蓄積します。
- これにより、将来的に新しい豆に挑戦する際、理想とする風味プロファイルをExtraction Chart上の特定の領域と関連付け、レシピ開発の出発点を定めやすくなります。
TDS測定の限界と注意点
TDS測定は強力なツールですが、万能ではありません。以下のような限界や注意点も理解しておく必要があります。
- 風味の全てを表すわけではない: TDS値はあくまで濃度と抽出収率を示すものであり、コーヒーの持つ複雑な風味(アロマ、酸味の種類、ボディ、後味など)の全てを数値化できるわけではありません。味覚評価はTDS測定と常にセットで行うべきです。
- 測定精度: 安価な機器では精度に限界があります。また、サンプリング時の微粉混入や温度管理なども測定値に影響します。
- 豆による違い: 同じ抽出収率でも、豆の産地、品種、精製方法、焙煎度合いによって、抽出される成分の構成比は大きく異なります。そのため、同じExtraction Chart上の位置にあっても、全く異なる風味になることがあります。
- 経時変化: コーヒー液は抽出後も成分が変化するため、測定は可能な限り速やかに行うか、一定の時間経過後に毎回行うなどの基準を設ける必要があります。
まとめ:科学的アプローチでコーヒー抽出を深化させる
TDS測定は、コーヒー抽出を感覚だけでなく科学的な視点から理解し、技術を向上させるための非常に有効な手段です。抽出液の濃度や抽出収率を数値化することで、レシピの再現性を高め、新しい豆や器具の特性を客観的に評価し、自身の味覚と数値情報を結びつけて理想の風味プロファイルを探求することができます。
もちろん、最終的に美味しいと感じるかどうかは個人の味覚に委ねられます。しかし、TDS測定というツールを使いこなすことで、なぜ美味しいのか、なぜ美味しくないのかをより深く分析し、次の抽出へのフィードバックを具体的に得ることが可能になります。
TDS測定器の導入は一定の投資が必要ですが、本気で抽出技術を極めたいと考える方にとって、その価値は大きいと言えるでしょう。ぜひTDS測定をあなたのコーヒー探求に取り入れ、理想の一杯へ向かう旅をさらに深化させてください。